ベランダの網戸に、カナブンがとまっていた。
蜂蜜を薄めた皿に乗せてやった。
1時間ぐらいはいたと思う。買い物から戻ったら、もういなかった。
四国の青い空と海、日に焼けた二人の姿、海辺の小さな墓地。小さな虫は、思い出を残していった。
ベランダの網戸に、カナブンがとまっていた。
蜂蜜を薄めた皿に乗せてやった。
1時間ぐらいはいたと思う。買い物から戻ったら、もういなかった。
四国の青い空と海、日に焼けた二人の姿、海辺の小さな墓地。小さな虫は、思い出を残していった。
期待していた身としては、あまり書きたくない話だが、現状の情報を見る限り確定したと言っていい。
自分的には、なんといっても120kgの重量増が痛すぎる。RSも100kg重くなっている。280psという、 ターボ車としてはさして高くないパワーのわりに重くなりすぎだ。また、デザイン的にも、あまりに普通自動車すぎる。自分は、 マツダのどこか和風かつ流麗なデザインが好みなので、少し見習って欲しい気がした。
自分の結論。
このいずれかでFAかな。
まだ桜が咲かない北海道の土曜日。
夏タイヤに換装した。
同型車種から RX-8 に乗り換えた人から売ってもらったアルミホイールと中古のタイヤだ。
初のタイヤ交換だったが、油圧ジャッキとクロスレンチは以前購入してトランクに常備していたので、30分程度で済んだ。
感想:思ったよりかっこういい…。走ると摩擦音がでかい。ハンドルが重い。タイヤが薄っぺらくて、 トランクスからフンドシに履き替えたみたいな印象。
乗ってみて、ふと気づいた。これまでトラクションの意味や使い方を考えたことがなかったって。 偶然トラクションのかかるコーナリングを身につけていたことにも気がついたが、それはアウト側の前後輪にとりあえず荷重していただけで、 まだ不十分な使い方だった。
とはいえ、正しい時系列でタイヤに荷重をかける技術がまだない。街中では曲がり角は極く低速にならざるを得ないし、 練習にもならない気がする。どこかで練習したいなあ。
ご存知の通り、最近の車はリモコンキーでドアロック・アンロックしたとき、ハザードランプが点滅してくれる。
しかし、平成10年式ギャランにはそんな機能はない。ルームランプが点滅するが、夜でも暗くてよく分からない。
そこで、 データシステムの アンサーバックキット2 を注文していたのが到着したので、ディーラーでリモコンキーを新調してもらったついでに取り付けてもらった。
いや、自分で付けようとしたのだが、ジャンクションブロックのコネクタ類が非常に付け外しがしにくいので、断念した。工賃もそんなに高くなかったので依頼してよかった。
ギャラン用の型番は、本体がABK289で、車種別専用ハーネスがABK092だ。(念のため発注の際はサイトで確認して下さいな。)
自分にとってこの製品の良いところは、コネクタを中継して割り込む形のハーネスを使用して取り付けるので、使用をやめたくなったときに完全に元通りに戻すことができる。例えば、中継タップを刺した場合などは、純正ケーブルに傷をつけるので、完全に元通りは戻せないが、コネクタによる中継なら可能ということだ。また、ハザードの点滅パターンが豊富で、希望のパターンがあったということと、専用のボタンが付属しており、サンキューハザードがボタン一発で行えること、また、そのボタンを利用して点滅パターンの変更が出来 DIP スイッチ要らずな点だ。また、別売りのオプションが必要だが、ドアミラーの自動展開・格納機能も追加することが出来るのもよい。
ブザーも付属していたが、不要なので付けなかった。ピーピー鳴ると却ってうっとおしい。静かに点滅してくれるのが良い。
惜しい点は、他の製品に比べ価格が高めなことと、エンジンスターターと競合して、スターター起動中はリモコンキーが効かなくなる点だ。価格に関しては、その分しっかりした作りをしているので自分的には問題ない。スターターの問題は惜しいところだが、リモコンキーでドアを開けるときに、先にスターターのリモコンでエンジン停止すれば使えるので運用で回避した。
ともあれ、これで我が愛車も、ドアロック・アンロックでピカピカしてくれるのが、とてもすごく嬉しい。(^o^)
キーワード: ギャラン E-EC1A アンサーバックキット
古い作品だが、観てみたくなり、DVD を借りてきた。
『攻殻機動隊Ghost in the shell』
『ブレードランナー最終版』
意識して両者を借りたわけではなかったのだが、Ghost in the shell のオープニングをみただけで、押井守が『ブレードランナー』を意識してつくったのがわかった。テーマが共通であるのは確かだし、もしかしたら(原作者か押井か両者が)『ブレードランナー』という作品が好きだからなのかもしれない。
その共通のテーマは、「生きているとはどういうことなのか」「人であるアイデンティティは何か」だと自分は考える。
誰もが思春期に通りゆくテーマであり、青臭いと思う人もいるかも知れないが、自分にとっては今でも必要かつ重要な課題だ。
今もなお、「生きるとは」、「自分とは」と格闘しているからだ。もっと言えば、自分にとって「生きる」とはただ息をしていることでもなく、ただ収入が得られることでもない。「人に受け入れられる、愛を受けることができる、そんな自分」として生きることが夢であり、壁を越えようとあがくのだ。
だが最近ふと、思うことがある。愛は渇望し続けることで得られるものではなく、前に向かって踏みしめるみちばたに、ふと通り過ぎる野の花のようなものではないか、と。
クリスマス隣は何をするひとぞ
クリスマス己は何をするひとぞ